※ 「今月の衛星画像」 2019年のテーマは Google Earth Engine で変化を追う です ※
 Vol.21
−07    2019年07月号

ピナツボ火山 1991年の噴火前後」

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「今月の衛星画像」で使用したデータの中には、「研究利用目的配布」で購入したデータが含まれています。
ADEOS
衛星の場合、データ所有および提供は宇宙開発事業団です。MOS,MOS-1bの場合、データ所有および提供は宇宙開発事業団です。
LANDSAT
の場合、データ所有は米国政府、提供はSpace Imaging(R)/宇宙開発事業団です。またLANDAT8画像については産総研のサイトも利用しています。
SPOT
の場合、COPYRIGHT CNES、提供はSPOT(R)/宇宙開発事業団 です。
また、メリーランド大学やUSGSのアーカイブデータを使用することもあります。
2019年はGoogle EarthEngineを使用します

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 2019年のテーマは、「Google Earth Engineで変化を追う」です。


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 赤丸は画像の位置を示す    
 ルソン島西部にあるピナツボ山は、1991年の20世紀における最大の噴火を起こした。この火山は、400年間にわたり静穏な状態が続いていたとみられ、火山周辺の肥沃な土地は、豊富な雨量のもとで農耕に適した肥沃な大地が広がっていた。
大噴火によって、1745mあった標高は1486mまで減じ、周辺地域では火砕流と火山灰のほかに火山性堆積物が雨水で流下した火山泥流が広範に発生した。この影響でピナツボ山周辺では、週百平方キロメートルにわたる広大な耕作地が不毛地な土地に代わってしまったといわれていいる。
 1991年以降、山頂にはカルデラ湖が形成され、溶岩ドームが島を作った。そしてその後は、静穏な状態が続いている。いっぽう、山腹の谷には火山泥流が流れ込み、そこから周辺へ広がっていった。周辺地域の農地の多くは使えない状態が続いており、火山周辺に定住していたアエタ族をはじめとする100万人以上の人たちは、住む場所を求めて離散してしまったといわれている。
   
     
 画像1 Google Earth Engine でみた1984~2018年のピナツボ火山と周辺地域. 画像の東西幅は、約200km
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  画像2 Google Earth Engine でみた1984~2018年のピナツボ火山山頂部. 画像の東西幅は、約30km
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